「マー・ドゥア」現象の謎を解く――森で道に迷ったときの脱出術
ベトナムでは、「マー・ドゥア」(ma đưa、「幽霊に連れ回される」の意)と呼ばれる現象について、神秘的・霊的な要素を多く含む不思議な話が民間で語り継がれている。ベトナムの人々は「マー・ドゥア」という概念を用いて、森で道に迷い、異常な行動を見せた事例を説明することが多い。たとえば、森の中をぐるぐると歩き回って帰り道が分からなくなる、茂みやとげだらけの藪の中に「隠される」、異常なものを口にする、森で迷った後に奇妙な心理的症状を示す、といったものだ。
「マー・ドゥア」現象とは何か
では、なぜ「マー・ドゥア」現象は起こるのか。そして森で道に迷ったとき、無事に脱出するには何をすべきなのか。
「マー・ドゥア」現象とその発生原因
森でのサバイバル技術を持つ人は、道に迷っても冷静に状況に対処し、早く帰り道を見つけることができる。しかし、そうした技術が不足し、精神的にも不安定な人は、道に迷うとパニック状態に陥りやすく、それが健康や認知、行動に直接影響を与え、「マー・ドゥア」現象を引き起こす。心理学的な観点から見ると、「マー・ドゥア」現象は錯覚(知覚の錯覚)の結果にほかならない。
錯覚とは、客観的に存在する物事や現象の外面的な性質を誤って捉えてしまう過程である。錯覚にはさまざまな原因があり得るが、基本的には生理的、物理的、心理的という三つの原因に分けられる。
森で道に迷った人が「マー・ドゥア」に遭う場合も、次の三つの基本的な原因によるものだ。
生理的な原因:森で道に迷うと、疲労、飢えや渇き、体調の悪化によって感覚器官の感度が高まったり低下したりし、周囲の物事を誤って認識するようになる。たとえば、森で迷った人がひどい飢えと渇きのために錯覚を起こし、周囲の物を正しく認識できなくなって、土や泥、さらには動物のふんを食べたり、汚れた水を飲んだりすることがある。また、極度の疲労と安全を求める本能から、密生したとげのある茂みに潜り込んで眠ろうとする人もいる。このとき、感覚の感度が著しく低下しているため、痛みを感じないのだ。
そのため、とげのある竹やぶに潜り込んだ状態で発見され、自力では出られず、周りの人も助け出すのに苦労し、外側から竹を一本ずつ切り進めてようやく救出する、という事例も珍しくない。

心理学的な観点から見ると、「マー・ドゥア」現象は錯覚の結果にほかならない。
物理的な原因:密林では木々が密集して生えており、似たような場所が多いため、迷った人は方向を把握したり場所を見分けたりするのが非常に難しい。また、夜間や深い森の中で迷った場合、光が不足しているため、周囲の物事を誤って認識しやすくなる。さらに、「円を描いて歩く」という体の自然な運動傾向の影響で、迷った人はぐるぐると歩き回り、元の場所に戻ってしまうことが多い。
このように、物理的な空間の配置や知覚の条件などによって、森で迷った人は方角が分からなくなり、同じ場所を歩き回り、見覚えのある場所に来てもそれと気づかないことさえある。
心理的な原因:森で迷ったとき、極度の不安やパニック、家に帰りたいという強い思いは、必然的に錯覚を引き起こす。迷った人は夜が果てしなく続くように感じ、時間や空間の感覚を失い、恐ろしい音を聞いたり、ぞっとするような光景を見たりする。そして、無事に帰還した後もその音や光景に悩まされることが多い。そのため、森で迷った人の多くは、帰ってきてから幽霊に出会った、死者に道案内された、といった神秘的で非論理的、非現実的な話をすることが多い。
上記のような錯覚の原因に加えて、「マー・ドゥア」現象の神秘性を高める要因の一つは、迷った本人が語る話にあることが多い。迷った人は家に帰ると、慰められ、守られ、励まされたいという心理を抱きがちで、無意識のうちに暗示にかかり、弱々しく普通ではない姿を見せてしまう。
また、一般的な心理として、森で事故に遭ったり道に迷ったりした人は、自分の技術不足や精神的な弱さが原因だと認めず、外的な要因のせいにしがちだ。このような場合、自分の未熟さを正当化するために、不思議で神秘的な出来事を付け加えて話を膨らませようとする。
森で道に迷ったときの安全スキル
現代、特に都市化が急速に進むなかで、森で迷う機会などほとんど残っておらず、森で迷ったときの安全スキルを学ぶ必要はない、と冷笑する人も多いかもしれない。
しかし実際には、森で働くことを生業とする人でさえ道に迷うケースは今も数多くある。さらに、山林地帯への旅行や海外旅行もあり得るし、小さな原生林を見学するだけでも、技術がなければ森で迷う危険は十分にある。
では、道に迷わないためには何をすべきか、そして森で迷ったときに安全でいるためには何をすべきか。以下に基本的な安全スキルを紹介する。
見知らぬ森に入る際に道に迷わないよう、次のようなスキルを身に付けておく必要がある。
森に入る前に装備、連絡手段、救助の計画を準備する
これは森で迷う事態に陥らないための非常に重要なステップだ。自ら森に入る場合は、鋭いナイフ、ライター、コンパス、電話、懐中電灯、飲み水、乾燥携行食など、迷ったときに生き延びるための最低限必要な物を準備しよう。グループで行く場合は、誰かが迷ったときの計画や連絡・救助の方法をあらかじめ取り決めておく必要がある。
森の中を移動するときは地形を記憶し、進んだ方向に印を付ける
森の中を移動するときは、通過した地形を記憶し、山道の分かれ道、大きな木、川、渓流など、地形の目立つ特徴に注意を払っておくと、引き返す際に方向を把握しやすい。必要であれば独自の記号で印を付けたり、スマートフォンで通過した地形を撮影したりしておくとよい。
森で迷ってしまった場合、安全を確保するためには次の基本的なステップを実行する必要がある。
体力を温存し、心の状態をコントロールする
迷ったと気づいたら、まず休憩して体力を温存するのに適した場所を探す。帰り道を探そうと右往左往すると、体が疲れ、冷静さを失ってしまうので避けるべきだ。座って休むことは体力の温存につながるだけでなく、落ち着いて脱出のための次の手順を考える助けにもなる。冷静さを保ち、パニックになったり否定的な考えにとらわれたりせず、座って疲れを癒やそう。水を持っていれば飲んでリラックスし、落ち着きを取り戻すことが大切だ。
現在地の把握と方角の確認
位置情報機能付きのスマートフォンを持っていて、携帯電話の電波が届く地域にいれば、現在地の特定は難しくない。しかし、そうでない場合は、高い木や高台に登って周囲を観察する、移動した時間や速度、距離を見積もって現在地を割り出すなど、昔ながらの方法を使う必要がある。
棒やナイフで地面に略図を描いて現在地を確認するとよい。これは現在地の把握に役立つだけでなく、気持ちを落ち着かせ、自分への自信を高めることにもつながる。
現在地が分かったら、次は森から抜け出すための方角を定める。まず、自分がどの方角から森に入ったのかを確認する。たとえば東西方向、あるいは南北方向に進んだのであれば、その逆の方向を目指して戻ればよい。日中であれば、時刻と太陽が昇る方向、沈む方向を確認して東か西を判断する。
木の幹や岩に生えたコケを見て方角を判断する人もいるが、コケは日陰で湿った場所ならどこにでも生えるため、この方法は当てにならない。東か西が分かったら、両腕を大きく広げて立ち、左手で東、右手で西を指す。すると正面が南、背中側が北になる。夜間は星を観察して方角を知ることもできるが、この方法は一般に難しいため、方角の確認や移動は日中に行い、夜間の移動は避けるべきだ。
地形に川や渓流があり、自分が下流側から森に入ったのか上流側から入ったのかが分かっている場合は、東西南北を気にせず、川沿いに進んで出口を探せばよい。また、まだ渡ったことのない川や渓流に出くわした場合は、下流に向かって進もう。川や渓流は必ず平野部や人里へと流れていくため、他の方向へ進むよりも脱出できる可能性が高い。
木や高台に登ったら周囲をよく観察し、煙や民家の屋根が見えたら、その方向に向かって進む。夜間でも木や高台に登って明かりや火の光を探すことができる。距離が近ければすぐに移動してもよいが、遠い場合は一晩休み、方角を確認したうえで日中に移動する必要がある。
車両の音、教会の鐘や寺の鐘の音、渓流のせせらぎ、滝の音など、方角を知る手がかりとなる音に注意深く耳を傾けるのも一つの方法だ。
夜間は安全な場所に避難する
日が暮れかけても出口が見つからない、あるいは無事に森から出られるか確信が持てない場合は、森で一夜を過ごすことを検討し、安全に夜を越せるよう事前に準備しておく必要がある。まず、高い位置にある岩のくぼみや洞窟、大きな木の枝など、安全な避難場所を探す。
雨季であれば、雨を避けられる場所を選ぶか、森の木の葉を使って覆いを作り、安全な避難場所を確保する。乾いた薪や枝を周囲に積み上げて猛獣を防ぐ柵にしたり、自然のつる植物を編んでハンモックを作り、虫やヘビ、ムカデを避けて寝たりするのもよい。猛獣に襲われたときに身を守れるよう、寝るときは長い枝をそばに置いておこう。
夜に暖を取るため、乾いた枝をたくさん用意しておく。ライターを持っている場合は、なくしたり濡れて使えなくなったりしないよう大切に保管し、暗くなったら火をおこす。ライターがない場合でも、さまざまな方法で火をおこすことができる。最も簡単なのは、火口(ほくち)を用意し、乾いた枝に溝を彫り、別の乾いた枝の先をとがらせて絶えずこすり合わせ、摩擦熱で火口に火を移す方法だ。日中であれば、太陽光を利用して凸レンズで火をおこすこともできる。夜はできるだけ火をたき続けよう。火は暖を取ったり猛獣を防いだりするだけでなく、他の人への合図になり、夜をしのぐための食べ物を調理することもできる。
食料と飲み水を探す
持参した水の残量を確認し、少なくなっていれば水源を探して予備の水を確保する必要がある。水は川や渓流、葉に付いた露から取るのが最もよく、たまり水は中毒を起こす恐れがあるので避けるべきだ。
夜間は避難場所の周辺だけで食べ物を探し、遠くへ行かないようにする。あらかじめ森の果実を拾ったり、昆虫や渓流の魚を捕まえたり、毒がないと確実に分かっている植物や草の若芽を食べたりして、夜をしのぐ準備をしておくとよい。火をおこしている場合は、安全のため、手に入れた食べ物はすべて火を通してから食べよう。
森で長期間迷っている場合は、健康を維持するため、日中に食べ物や飲み水を探して蓄えておく必要がある。川や渓流には魚や食べられる植物、昆虫などが多いため、食べ物は川沿いで探すのが最もよい。一般的な漁の方法を応用して魚を捕ったり、バッタ、イナゴ、コオロギなどの昆虫を捕まえたりして食料にすることができる。本当に緊急の場合は、身近な小動物が生き延びる助けになることもあるが、保護林で野生動物を捕獲することや、多くのヘビやヤモリなどの保護対象種を捕獲することは、ベトナムでは違法であることを覚えておこう。
移動と合図
方角が分かったら、森から抜け出すために移動してもよい。移動する際は通過した場所を記憶して印を付け、救助隊があなたを見つけられるよう、道中に目印を残しておこう。
まだ方角が分からない場合は、安全な場所に避難し、救助隊や地元の人々に合図を送る方法を考えるのが最善だ。火をたいて煙を上げたり、開けた場所を見つけて枝や石を三角形に並べ、救助隊がヘリコプターから見つけられるようにしたりするとよい。また、約30分おきに長く叫び声を上げて、救助隊に知らせることも試してみよう。

