ハノイの路面電車 古都の栄華を伝える記憶
ベトナムの首都ハノイ(Hà Nội)の人々が、市の中心部を走る路面電車のチンチンという音を耳にしなくなって久しい。かつての路面電車は今、何世代ものハノイ市民にとって美しい思い出となっている。

プラス・デ・ココティエ(Place des Cocotiers)停留所で1号線を走るCTEH社の路面電車。

プチ・ラック(Petit Lac、現在のハノイ中心部のホアンキエム(Hoàn Kiếm)湖)のそばを通る、CTEH社の1号線の路面電車。

当時ハノイ南西の町だったハドン(Hà Đông)で1号線を走るCTEH社の路面電車。

プラス・ネイレ(Place Neyret)で3号線を走るCTEH社の路面電車。

1960年、ハンバイ(Hàng Bài)通りを南下し、バックマイ(Bạch Mai)地区へ向かうハノイの1号線の路面電車(1929年製造)。

1980年代のハノイの2号線の路面電車。

「フランス人はよく考えたものだ/街を巡る路面電車を生み出した」という詩句は、長年ハノイに暮らしてきた人々にとってなじみ深い記憶となっている。3両編成の路面電車がハノイを巡る姿はもう見られないが、1世紀ほど前、この路面電車は首都で最も近代的な公共交通機関の一つだった。

路面電車の路線はすべてホアンキエム湖畔から旧市街の城門へと放射状に延び、遠くハドンにまで達していた。写真は1975年以降、ハノイ最大の伝統市場ドンスアン(Đồng Xuân)市場の前を通る路面電車。1990年初めまでに、路面電車は正式に廃止された。

路面電車は20世紀を通じて、あらゆる階層のハノイ市民に親しまれた公共交通機関だった。1900年5月、フランスはハノイの路面電車工場の建設と線路の敷設を正式に開始した。路面電車は20世紀末までこの街とともにあった。

各編成は2両または3両で、先頭車両は1等と2等の2つの等級に分かれていた。1等は進行方向を向いたクッション付きの座席、2等は車両の長手方向に沿った硬い座席だった。荷物は座席の下に積まれ、かごや天秤棒は最後尾の車両の外側に掛けられた。

今日、チンチンと音を立てる路面電車の姿が鮮明に記憶に残っているのは、70歳以上のハノイ市民だけだ。休みなく走り続けた路面電車は、3分の2世紀以上にわたり、ハノイの古名であるタンロン(Thăng Long)の街並みを形づくってきた。

今では若い世代は、写真や歌、詩を通じて、かつての都のこの遺産を思い描くしかない。ドイツの写真家トーマス・ビルハルト(Thomas Billhardt)は、1970年代のハノイとその昔の交通機関を記録した貴重な写真を残している。

かつて路面電車が走ったクアンタイン(Quán Thánh)、キムマー(Kim Mã)、ディンティエンホアン(Đinh Tiên Hoàng)、グエンクエン(Nguyễn Khuyến)などの通りには、ハノイ唯一無二だったこの乗り物の姿はもうない。代わりに、通りは自家用から公共のものまで、あらゆる種類の乗り物で埋め尽くされている。

現代では多くの新しい交通手段が登場し、かつての路面電車を覚えている人や話題にする人は少ない。路面電車が通った多くの通りは今では旧市街となり、長くタンロンの地に暮らしてきた人々には、「朝早くから夜遅くまで響いた電車のチンチンという音」が懐かしい記憶として残るだけだ。
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